変わりたい。自分はこんなものじゃない。本気を出せばもっとうまくいく。自分はまだ本気を出していないだけ。自分は変われる、きっと変わることができる。誰しもが思うことかもしれないが、本当に人は変われるのか。今回はそんなお話。

大学受験へ

前回からの続き:高卒で働き始めて、世の中の仕組みというものが少しだけ理解できた気がした。自分がいかに努力を怠り、その結果として今の現状があるということ。同時に、どうすればこの状況を打開できるかということも考えた。20歳に満たないものとしては見事なまでに短絡的な思考回路だった。つまり

  • Aが苦手で避けてきた=今の結果
  • Aばかりやってみる=今とは反対の結果

簡単にいうとこういうことだ。つまり、僕は人生を変えるために、自分が一番嫌いな「勉強」に注力しようと考えた。そして、自分の頭にある中で勉強ができる人が行く場所といえば、大学だった。今思えば他にも色んな勉強対象があり得たと思うが、当時の僕にとっては、社会人の最初の研修のときにみた大卒の人々の強烈な印象しかなかった。頭が良いと言えば大学だったのだ。

そこからの行動は今思うとなかなか迅速だった。まず、高校の時の担任に話を聞きに行った。どうやら一般入試と推薦入試という選択肢があるらしい。というか担任が少し引いていた。教師として僕がいかに勉強から避けてきたかを身に染みてしっている人としては、急に僕が大学と言い出したことに対して違和感しか覚えなかったのだろう。ただ、既に卒業している人が利用可能な推薦入試は数がかなり限られていて、実質的に僕が取れる選択肢は一般入試しかなかった。

このとき、生まれて初めて国公立、私立などの意味の違いを知った。ただ、理解としては国公立は受験科目が多くて学費が安い、私立は受験科目を絞ることができて学費が高い。一瞬で私立に絞ることを決意した。科目を絞り、特化することで、何とかどこかの大学には入ることができると考えた。

その後、時期を見計らって親に相談を開始した。大学に行きたい。あんなに引きつった親を見るのは初めてだった。正直全く裕福な家庭ではなかったし、僕の頭では私立が限界ということを親も理解していた。当たり前だが、反対された。ある意味高卒で働いていること自体ラッキーなことで、親の肩の荷は相当軽くなっていたはずだ。そこにいきなり会社を辞めて大学を目指したいと言い出す子供がいたら、普通反対する。

だから、僕はまた生まれて初めて、勝手を承知で「お願いします」と親に頭を下げた。高校の先生にもすでに相談していることも告げた。自分が取りうる情報をできる限り集めていることも告げた。

 

「1年だけ挑戦して良い。ダメなら仕事に戻ること。」

 

という返事をもらえた。今となってはこの返事に感謝するしかない。ただ当時の僕は、もし受験に失敗したら、親の前から姿を消そうと考えていた。せっかく大きくなるまで育ててもらい、仕事に就いたのに、いきなりまた家庭に不安要素を持ち込んだ。そのうえでさらに受験失敗となると、もう僕がいないほうが良いに決まっている。そう思い込み、大学進学かどこかに消えるか、その2択で考えていた。そして仕事をやめ、浪人生として勉強を開始することになった。このとき、既に19歳の5月。

勉強開始

さっそく予備校にいき、大学に行きたいと相談してみた。僕を担当してくれたOさんは、まず僕の現状を見るために過去のセンター模試のようなものを解くように言い、さっそく解いてみた。選択科目は、英語、国語、世界史。今思うと世界史は政治経済などにしておけばよかったが、今更言っても仕方ない。

解いてみて、というか問題を見てみて、違和感に気が付いた。「どこが分からない」というレベルではなく「最初から最後まで全部わからない」状態だった。国語は母国語なので何とかなったが、英語と世界史は本当に1問もわからなかった。

どうしようもなく、全部BかCに適当にマークすることにした。結果は偏差値30代。というか30代をもらえるだけありがたい話で、確率で正解した数十点がその偏差値になったとだけの話だった。担当者Oさんはその結果を見て、「今から全力で頑張って、産近甲龍(関東でいう日東駒専のようなもの)レベルにいければ奇跡かな」という評価をくれた。ただ、当時の僕としてはそれらの大学に入るのも恐れ多い話で、それより下でもとにかく大学に入ることができれば万々歳という思いだった。

そして、とうとう勉強が始まった。ただ、いきなり「勉強ってどうするんだ」という基礎以下の問題にぶち当たった。今まで勉強をほとんどしてこなかった身としては、勉強をどのようにすれば良いかわからなかったのだ。そこで、まずは勉強方法の勉強を開始するという遠回りをした。そこで、このサイトの英語勉強法などにも書いてあるエビングハウスの忘却曲線などの理論を知った。僕が通っていた予備校はDVDで有名先生の講義を視聴するものだったので、そのタイミングや単語の暗記などを、全てその忘却曲線のタイミングに応用した。ハッキリいって、僕はある種感動していさえいた。勉強というのはこのようにするのかと、新しい発見に驚いていた。

ただ、成績は思ったより伸びなかった。今まで使われてこなかった頭に一気に受験の内容が詰め込まれるので、かなりきつかった。これまで遊んでいた友達からの誘いも大体断った。家ではダラダラパソコンを見ることも多かったので、「不合格」という紙をパソコンに張り付けて起動できないようにした。自分の部屋にあったテレビは親に言って捨てた。

僕のあまりの豹変ぶりに親が何かを思ったらしく、家の近くに部屋を借りてくれた。これが完全に鍵となった。そのころから僕の勉強方法は「音読」に重点を置くようになっており、本気で朝から夜まで英文を音読していた。それ以外の時間に国語と世界史の教科書や問題集をやるというスタイルになっていた。自分の部屋で際限なく声を出せるということは本当に助かることだった。

予備校の教師は、教材に用意されている四角の中に、一度音読を終えたらチェックマークをつけ、それのチェックマークが全て(10個ほど)埋まったら次のDVDを見るように画面を通して指示していた。だから、僕は「正」の文字が全部埋まったら次のDVDを見るようにした。人より何倍も頭が悪いのであれば、人の何倍もやれば良い。

このころには、「自分はまだ本気を出していないだけ。やればできる」という考えは全く意味のないことだと気づいていた。そう、僕はやっても出来ない人間だったのだ。だから、通常の人間の何倍もやる。そうすることで少しでも追いつこうとした。

上記の生活を繰り返すうちに、徐々に問題がわかるようになってきた。このころ、自分に2つのエンジンがあることに気が付いた。

1つは、「以前の生活に戻りたくない」というネガティブなエンジン。このエンジンは勉強をスタートする時に非常に強力で、少しでも怠けようとするとこの気持ちが湧き上がり、さっと机に向かうようになった。

もう1つは「自分をもっと成長させたい」というポジティブなエンジン。これはどんどん問題をとけるようになることで、もっと色々わかるようになりたいとひたすら勉強時間を維持するのに役に立つエンジンである。

これら2つのエンジンを回し続け、とうとう受験のときがきた。このころには当初奇跡で合格できるかもしれないと言われていた大学は普通に合格できると感じるようになっていて、その上の大学を目指すことにした。

結果

結果として、第1志望にしていたそこそこ有名な大学に奨学金をもらって入学できることになった。ただ、そこより偏差値が高い大学も合格することができ、奨学金はないがそちらに入学することを決めた。そこからは、大学時代に留学したり、就職活動をして社会人になり、USCPAになり、今に至る。

人は変われるのか

たまに、以前の、つまり高卒で働いていたときまでの自分の生活を思い出す。あれはあれで悪くなかった。ただ、心のどこかで変わりたいと思っていたのも事実だ。当時の僕が今の僕を見ると、確実に同一人物と信じてもらえないだろうし、僕も僕で、当時の自分のままで働き続けた自分と相対すると信じられないのだと思う。

人は変われるのか。その答えに、僕はYesと解答することができる。人は結局変われないという人もいるけど、僕はそうは思わない。もし、変わりたいけど、自分にできるわけがない、とあきらめている人がいれば、自分を信じて色々なことに挑戦してみてほしい。絶対に変われる。

大事なのは、変わりたいと思ったときに行動に変化を起こすこと。人間は決意をあらたにするのは簡単にできるが、行動に変化を起こすのは本当に難しい。逆に言うと、行動に変化を起こすことが出来たのであれば、それを継続していれば気が付けば変わった自分がいることに気付くだろう。