リーマンショック振り返り4

前回までを通して、サブプライム問題からパリバショック、そしてベア・スターンズの救済とみてきました。非常に長くなってしまいましたが、今回からリーマンショックについて見ていきたいと思います。

ベア・スターンズ救済後

政府による融資を受けたJPモルガンチェース銀行によるベア・スターンズの買収により、市場には若干の安堵が広がるのですが、次に別の様々な問題が浮上し始めます。それが、Government Sponsored Enterprise(GSE)と呼ばれるアメリカの住宅ローン公社と、リーマンブラザーズです。今回はGSEについては触れませんが、こちらにも税金が投入され、救済されることになりました。そしてもうひとつの問題が、リーマンブラザーズになります。

リーマン・ブラザーズ

1850年、ヘンリー・リーマン、エマニュエル・リーマン、マイヤー・リーマンの3兄弟によって、リーマン・ブラザーズが設立されました。3人のリーマンという兄弟による会社なので、リーマン・ブラザーズと言うのですね。設立当初は綿花の取引などを主なビジネスとしていたようです。兄弟によって行われていた綿花ビジネスを考えると、まさかこんな終焉を迎えるとはこの3兄弟は誰も考えなかったのだと思います。

リーマン・ブラザーズはその後、債券の引受や資産管理業務などの金融機関としての業務へ徐々にビジネスをシフトしていくことになります。M&Aなども行うようになり、投資銀行としてアメリカ第4位の規模まで成長することになります。ただ、上位3社と比べるとまだまだ企業として弱かったため、更なる成長を求めてハイリスクハイリターンな投資にも手を広げていくことになります。それが、サブプライム関連商品です。

これらの投資をもとに、リーマン・ブラザーズは更なる躍進を遂げることになります。日本があるアジアでも、大きな存在感を示すことになります。ホリエモンで有名になった堀江貴文さんの率いていた当時のライブドアに対して、転換社債型新株予約権付社債といった複雑な金融商品を使用した資金調達のサポートなども行っています。

リーマン・ブラザーズの停滞

ただ、これまでに見てきたようにサブプライム関連商品の価格が下落することに伴い、それらを大量に保有していたリーマン・ブラザーズも多額の損失を計上することになります。まず2008年の第2四半期に、およそ3千億円の損失を計上します。この瞬間、投資家たちの間で「リーマンは危ない」という印象を与えることになります。リーマン・ブラザーズの信用が一気に悪化したことにります。これで、金融機関としてお金を調達することが非常に困難になりました。これまでお金を貸してくれた銀行などからお金を借りれなくなり、借りるために今まで以上に担保が必要となるようになりました。

これらの結果、リーマンの支払能力は急速に減少することになりました。借りれない、自分が借りたものは返済しなければばらない。現金がリーマンのもとから次々と失われ、いよいよ2008年の9月時点で、法人としての存続が危うい状態にまで追い込まれることになりました。リーマン・ブラザーズは、自分を買収してくれる先を探していました。ただ、どこの金融機関もリーマンがどれだけの損失を抱えてるかわからないため、そして自分たちもサブプライム関連商品で傷ついていたため、余裕を持って救済できるところはありませんでした。

運命の日

2008年9月8日(月)の週、リーマンの支払い能力が底をつく、つまりこの週に何かの進展がないと倒産が確定する週と言われていました。

2008年9月9日(火)、候補の1つであった韓国産業銀行が、出資を行う協議を取りやめたと伝えました。これにより、リーマンの株価は40%の下落を見せました。この時点で候補はアメリカのバンクオブアメリカと、イギリスのバークレイズ銀行のみとなりました。

2008年9月12日(金)アメリカの中央銀行のような役割を担うFRBに、主要金融機関のトップが集合しました。議題はリーマン・ブラザーズの今後についてでした。この週末を通して議論がまとまらなかった場合、リーマンは破たんすることになります。1つ目の候補であるバンクオブアメリカは、アメリカ政府が以前にとった手法、つまり融資を通して買収する(JPモルガンがベア・スターンズを買収した手法)という方法が拒否、つまりアメリカ政府が税金の投入を拒否しているという点、そしてすでにアメリカの住宅ローン会社を買収して体力が落ちていることを理由として、買収する候補先から外れることになりました。ラスト1社のバークレイズ銀行は、取締役による買収の承認まではこぎつけたのですが、イギリス本国の当局であるFinancial Service Authority(FSA)、日本でいうところの金融庁がOKを出しませんでした。これにより、買収は断念となりました。このとき、リーマン・ブラザーズの破たんが確定しました。

2008年9月15日(月)、創業から158年の歳月を経て、リーマン・ブラザーズは連邦倒産法第11条を申請し、その長い歴史を終えることになりました。

リーマン・ブラザーズの破たん

リーマン・ブラザーズは、60兆円の負債を抱えての倒産となりました。ちなみに、その日の格付会社によるリーマン・ブラザーズの格付は「AAA」=安定しています、という格付でした。格付け業務とは実に楽な仕事ですね。そして、リーマンが倒産法を申請したのと同日、アメリカ3位の投資銀行であるメリルリンチが、バンクオブアメリカに吸収合併されることを発表しました(バンクオブアメリカはリーマンの買収を拒否したのですが、不思議ですね)。さらに、投資銀行の1位と2位であるゴールドマン・サックスとモルガン・スタンレーがともにそれぞれの持株会社を銀行持株会社へ変更し、いつでも政府の援助を受けられる体制を整えました。当時は法律により銀行でないと援助がうけられないことになっていたため、なりふり構わず銀行持株会社へ移行したということになります。プライドも何もない格好いい会社ですね。

とにかく、巨大な投資銀行であるリーマン・ブラザーズが倒産することにより、市場に非常に大きな影響が発生することになりました。いわゆる、リーマンショックの発生です。これまで信じられてきた「Too big to fail」という信仰が崩れたことにより、市場はかなり不安定になりました。金融機関同士もお互いに不信に陥り、取引どころではない騒ぎとなりました。ここから、リーマンショックとしてどのような影響があったのかを箇条書きしてきます。

リーマン・ショック

  1. イギリス:HBOS危機→ロイズTSBにより救済合併
  2. アメリカ:ワシントン・ミューチュアル破たん→JPモルガンチェースにより買収
  3. ドイツ:ドイツ・ヒポ・リアルエステート危機→救済
  4. ベルギー:デクシア危機→ベルギー、オランダ、ルクセンブルク(ベネルクス三国)により救済
  5. ベルギー:フォルティス危機→ベネルクス三国により救済
  6. アメリカ:ワコビア危機→ウェルズ・ファーゴにより買収
  7. アイスランド:国内全銀行を国有化
  8. 日本:ニューシティ・レジデンス投資法人が破たん
  9. 日本:大和生命保険が破たん

また、これらの金融危機をおさめるため、大量の税金が世界中で使用されることになりました。

使われた税金

  1. バンク・オブ・アメリカ:4兆円超
  2. ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド:3兆円超
  3. ウェルズ・ファーゴ:2兆円超
  4. JPモルガン・チェース:2兆円超
  5. フォルティス:2兆円超
  6. ゴールドマン・サックス:1兆円程度
  7. メリルリンチ:1兆円程度

冷静に考えるととんでもない金額ですね。これにより好き放題していた金融機関への風当たりが強くなり、もっともっと強く規制をかけろという風潮になりました。そのため、リーマンショックを契機として、今まで以上に金融機関やそれに近い業種、そして今まであまり規制がかけられてこなかった店頭デリバティブといった金融商品の市場に規制がかけられるようになりました。次回は、どのように世界が金融危機に対処しようとしているのかについて書いていきたいと思います。リーマンショックという出来事はずいぶんと昔のことのように思えますが、この事件から派生した金融規制の構築は現在進行形で進んでいるものもあります。

次の記事:リーマンショック振り返り5

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)