英語の発言について純ジャパがたどり着いた結論をお話します
突然ですが、皆さんは”キレイな英語”を話したいと思うでしょうか。私は英語を勉強していた時(今もしてますが)、特に今よりスピーキング能力が低かった時代において、英語の発音についてもしっかりしたものを身に着けたいと考えていました。いわゆる「正しい発音」の英語が話したいと思っていました。
私は人生を振り返ると「純ジャパ」の部類に入ると思います。海外経験は20歳を超えるまで1回もありませんでしたし、英語に最初に触れた経験は大学受験の受験英語です。大学時代に国際的なNGOのサークルに入っていたのですが、そこで帰国子女や高校時代に留学したという人生の”質”が違う人種がいることに愕然とし、彼らの英語の発音を聞いては「自分と全然違うなこれ。。。」と落ち込みまくったのを覚えています。なんというか、私の口から飛び出す妙な音と彼らが話す英語は完全に別物だったのです。
そこから私の英語の発音に対するコンプレックスが爆発し、正しい英語、キレイに聞こえる英語を使いたいという気持ちが高まってしまい、これが最悪の結果を招いてしまいました。簡単に言うと、「きれいな発音じゃないから」という理由が頭に浮かび、英語を話すことに自分でブレーキをかけてしまうようになったことです。
何度も繰り返しますが、これは英語力、特にスピーキング能力の向上における最悪のブレーキになりました。そのため、現時点で「キレイな発音で英語を話したい。ネイティブみたいな発音で話したい」と思っている人に対して、以下のメッセージを送りたいと思います。
英語で最重要なのは、「自分の意見や伝えたいことが伝わること」です。
極端なことを言ってしまえば、ネイティブ発音で伝わらない英語より、カタカナ英語で伝わる英語の方が素晴らしいのです。所詮言語なので、伝わることが最重要で、正しい音声がどうかは二の次なのです。
発音どうでも良いエピソード
私は英会話スクールに通った経験がありますが、割と大手のスクールだったため、そこでの講師は基本的に英語圏(アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド等)のネイティブの方でした。そこでの講師にニュージーランド出身の白人おじいちゃんがいたのですが、経歴は非常に素晴らしく、公的機関などで経験を積み、高齢になり日本に住みつつ英会話講師をしているという人でした。
その人の発音がそれはそれはとんでもないもので、最初は本気で何を話しているかわかりませんでした。てっきりわざと変に発音して私がどう反応するかを確かめる抜き打ちチェックみたいなものかなと思うレベルで、わけのわからない発音でした。
他にも仕事でオーストラリアに出張した際に、現地のビジネスマンである白人男性の英語の発音が思ったより聞き取れず、現地の監査法人のメンバーに聞いてみると「彼は癖が強い話し方をしているけど、注意すれば聞き取れる」という状況でした。
大学時代や社会人時代の海外の人々との交流を振り返ると、ほとんどの人が教科書的な正しい発音やきれいな発音をしていなかったと思います。でも特にためらうことなく、恥ずかしがることなくペラペラと話していました。
もしかしたら、私が気合を入れて話している英語も、彼らからしたら同じようにひどく聞こえているのかもしれません。ただ、それでも伝わるし、仮に伝わらなかった場合は「どういうこと?」と質問がくるので何度も話せばよいのです。私も向こうが何を言っているのかさっぱりわからないときは「もう一回頼む」と理解できるまで質問をしてコミュニケーションを取っています。
つまり、繰り返しになりますが、結局のところ一番重要なのは「伝わるか」の1点であり「キレイに話せるか」ではないのです。
最後に
こんな簡単なことに気が付くのが本当に遅かったです。大学時代にどうしても英語ができるようになりたいと思い1年程度の留学をした経験がありますが、あのときにこの境地に至っていれば英語力の向上スピードが数倍違っていたと思います。本当に悔しいですが、後から「こうすれば良かった」と思い返すのが人生なのかもしれません。
今、過去の私と同じように「発音」を気にしている人がいるのであれば、それは忘れてください。必要なのはカタカナ英語だろうが何だろうが恥ずかしがらずに話す勇気です。今度この「勇気」に関して思想強めで書いていきたいと思います。
書きました。思想強めですのでご注意。