僕がどのような経験を経てUSCPA(米国公認会計士)の受験を決意したのかについて書いていきます。かなりの長文になると思いますので、勉強に疲れて頭を休めるとき等にゆっくりお読みください。全ての発端は、僕が大学受験を決意したときまでさかのぼります。

大学受験生時代

僕がUSCPAを目指すことになる何年も前、まだ「USCPA」という単語すら知らなかったときのことです。当時、僕は大学受験を控えていました。その時は確か、テレビや新聞などで、「グローバル化」という言葉が使われて始めていたと思います。「上司が外国人になった」「外資に日本企業が買収された」など、明らかに日本にグローバル化の波が押し寄せてきていました。

当時の僕は全くと言ってよいほど世界情勢のことには疎く、このような事象を一切とらえることが出来ていませんでした。ただ、今になって思うと確かにコンビニの店員がアジア人になっていたり、学校の英語の先生の補佐にネイティブの先生が入ったりと、少しずつグローバル化の影響は日本に入ってきていたのだと思います。

更に極端な意見として「英語が世界の共通語になる」とも言われていました。僕としては「英語とかクソ面倒なので日本語が世界の共通語になればいいのに」と思っていたのですが、敗戦国である日本の言語が覇権を取ることはなく、現状を見る限り英語が世界の共通語に向かって進んでいました。

受験生だった僕は、割と真剣に日本語が世界の共通語になれば良いと考えていました。まぁ自己中心的で頭が良くなかったわけです。ある日ふと、本当に世界の共通語が日本語だったらどうなるだろうと考えてみたのです。すると、以下のような世界であることがわかりました。

日本語が世界の共通語となった場合

日本語が世界で覇権を取りました。世界では、ほとんどの人が小さいころから日本語を勉強します。日本語が出来れば世界とコミュニケーションが取れるからです。さて、ネイティブの日本人であるあなたは、非常にラッキーな思いをすることになります。

まず、あなたが海外旅行に行くとします。道路に出ている看板や食品のラベルなど、大体のモノに対して、現地の言葉と並べて日本語が書かれています。食品にはどのような原料などが入っているのかは一目瞭然です。分からないことがあればそのあたりにいる人に気軽に日本語で尋ねることができます。彼らも日本語を勉強しているので、頑張って日本語で回答してくれます。

ビジネスをする場合も、基本的に書類などは日本語で記載されることになります。日本語が共通語だからです。当然、日本語を使ってビジネスの交渉なども行うことになります。意思疎通の基本が日本語だからです。

学校での授業も高等教育になるほど日本語の率が高まります。議論は日本語で行われますし、教材や参考文献も全て日本語です。インターネットにアクセスすると日本語のページで埋め尽くされており、世界中の情報が日本語で構築されています。世界中の人が日本語を使用してネット上でも議論しており、日本語ネイティブのあなたはスムーズにそれらの情報を入手できます。

英語にとりつかれる

さて、この痛々しい妄想ですが、日本人にとっては非常に都合が良いものになっています。「そんな世界ありえない」と思われた方もいるかもしれません。ただ、この世界は「日本語」を「英語」に置き換えると途端にリアリティを持った現実の世界となります。アメリカ人、イギリス人や、英語がネイティブ並みに出来る人は文字通り住む世界が違うのです。当時の僕は「そうか、英語が出来れば、世界中の人とつながることができるんだ!」といった漠然とした考えしか思い浮かびませんでしたが、今の世界では、英語が出来れば限りなく上記のような世界の疑似体験ができるようになっています。英語が出来れば、世界の様々な場所で困ることが少なくなってきています。

当時の僕は短絡的に「大学生である4年間で、絶対に英語だけでもできるようになってやる」と意気込みました。そして、受験勉強の比率を英語に傾けて、運よく志望した大学よりも偏差値が高い大学に合格することが出来ました。

このとき、「英語さえ出来れば将来は明るい」という最強に偏った考えを持った、大学生が誕生することになりました。

大学生時代

大学に入ってから、周囲の人がバタバタと怠惰な生活に倒れていく中、僕は英語の勉強を続けました。大学受験の時から声に出して英語を読む「音読」を中心とした勉強をしていたので、昼はひたすら図書館に籠って大学の勉強をして、帰宅後はとにかく手あたり次第に英語の参考書を音読する毎日が続きました。

それまで人生で一度も海外の地を踏んだことがなかった僕は、1回生のとき(関西では「年生」を「回生」と言います)、国際的なボランティアを行うサークルに所属し、夏休みに初めて2週間ほどでしたが海外の経験を積むことになりました。このとき、巨大な壁にぶち当たることになります。不思議なことに、自分が全く英語を話せないのです。あれだけ受験時代に勉強したのに、毎日夜に音読を続けているのに、英語だけは頑張ってきたのに、全く話せないのです。海外に滞在している間は全ての会話を、帰国子女の友達に通訳してもらうことになり、非常に悔しい思いをしました。正直悔しすぎて夜中にこっそり泣きました。あそこまで自分の無力さに打ちひしがれた日々はこれまでありませんでした。

英語漬けの日々

帰国後、「圧倒的に勉強が足りない。このままでは英語ができるようにならない。」と感じた僕は、1日における英語の勉強時間を拡大しました。そして、僕の目標は「交換留学」という、大学に用意されている留学システムで最も難易度が高いものに定められました。交換留学に参加するためには「TOEFL iBT」という非常に難易度の高いテストで高得点を取る必要があり、その難易度の高さから僕の友人も何人かTOEFL iBTで挫折して交換留学をあきらめています。

ただ、僕はどうしても英語をあきらめたくなかったのです。それは、英語に対する「純粋な憧れ」だったのかもしれません。もしくは、これまでの勉強を無駄にするのが嫌だったのかもしれません。帰国子女の友人に追いつきたかったのかもしれません。多分、全てなのでしょう。とにかく「これだ!」と自分の中で決めた教材を何百回、何先回とひたすら音読し、可能な限り英語を聞きながら生活を行いました。このあたりの生活で身についた英語勉強法は、また別の記事でまとめて書きたいと思います。

基本的に大学での交換留学に必要となるTOEFL iBTのスコアは61~80くらいなのですが、留学を目指して最初に受験した僕のスコアは、なんと120点満点中「35点」でした。あまりにも試験内容がわからなくて、試験会場である京都外国語大学からの帰り道に、思わず笑ってしまったことを今でも鮮明に思い出すことができます。その状態から留学可能なスコアまで上げるのは本当にきつかったです。1回のテストを受験するだけでも高額な費用が必要になるため、親に何度もお願いすることになりました。確か5回目と6回目の受験スコアが70前後で、交換留学へ応募できる要件を満たしたときは手が震えました。エッセイ等の書類は帰国子女の友人に何度も見直してもらい準備し、留学の書類審査を突破し、面接での問答を予想して全て暗記で対応するという荒業で突破し、なんとか交換留学の切符を手に入れることが出来ました。交換留学の期間は2学期分である約8ヶ月ですが「これで、僕も立派なグローバルな人材になれる」と根拠もなく喜んでいました。

留学へ

そして、ついに留学へ出発する日がやってきました。関西国際空港にて両親に見送られ、とてつもない高揚と不安を覚えながら飛行機に乗り込んだことを覚えています。「どうして目指していた留学にいけるのに不安を感じているんだろう」という心の声を押しつぶしながら、モヤモヤを押し殺しながら飛行機に乗り込んだことをを今でも鮮明に思い出すことが出来ます。本当に、あの時は希望と不安が心の中に渦巻いていました。留学体験記等を見ると希望に満ち溢れながら出発する人ばかりなのに、どうして自分はこんなにもモヤモヤしながら出発することになるのだろう。

そして、僕が感じていたモヤモヤは現地に到着すると見事に的中することになります。初日から「目的地と別の空港に着く」等の様々なトラブルが発生し、同じ飛行機に乗っていた、全く英語ができない日本人のホームステイ先になぜか僕が電話し、そのホームステイ先の人が迎えに来てくれた車で何とか学生寮に到着することが出来ました。今思うと学生寮に到着できたのは本当に奇跡です。そこでの生活をスタートさせた直後、僕のこれまでの考えは根本的に間違っていたことに気が付きました。

現地では、たかが数年日本で英語を勉強した程度の英語力では全く通用しないのです。これは逆を考えてみればわかると思うのですが、例えばアメリカで日本語を数年勉強した人が日本に来て、いきなり生活を始めようとしても大きな壁にぶつかるのは目に見えています。そのアメリカ人は日本人に日本語で勝てるわけがないのです。

その当たり前の現象を、僕は留学先で味わうことになりました。正直なところ、留学に出発前は「まぁここまで勉強したし外国人と普通に会話できるのだろうな」と考えていました。むしろ、ディベートなどを通して日本人として世界と渡り合おうと本気で思っていました。ところが、数年勉強した程度の英語力ではネイティブとディベートができるわけでもなく、それだけでなく、日常生活でも様々な表現であったり、会話の瞬発力であったり、口語表現であったり、自分が知らない英語の世界が一気に押し寄せてきました。英語を話すだけでも必死だった僕は、間違いなく英語圏では最下級の英語力の人間でした。

留学でぶち当たった次なる英語の壁。僕の目の前に現れたのは「英語力でネイティブに勝つことはありえない」「中途半端な英語力」という無残な現実でした。僕は、異国の地で目の前が真っ黒になりました。ネガティブな感情に苦しみながら毎日を過ごすことになります。自分が今までとんでもない時間を費やしてきた英語の勉強は無駄だったのか。あの苦労はなんだったのか。もっと子供のころから英語に触れている帰国子女でないとダメなのか。そして、僕は世界に通用する人間にはなれないのか。

会計学との出会い

そういった絶望の中、偶然、本当に偶然、ひとつの講義に出会うことになります。それが「Fundamental Accounting」つまり財務会計の基礎です。このとき、はじめて会計学というものに触れることになります。きっかけは、留学当初、とにかく自分が受講可能な講義に手当たり次第に参加していたときでした(大学の講義は学期が開始してから講義の本登録まで少しの間の期間が設けられており、その間に色々な講義に顔を出して本当に受講登録するか判断することが出来ます。簡単に言うと自分に合っているかお試しできるといった感じです)。手当たり次第に見学した講義の中に「財務会計基礎」がありました。

正直、最初に講義を聞いた時の印象は「意味不明だな。絶対に受講しないぞ」というものでした。周囲を見ても白人しかいないし、先生は物凄く早口で何をしゃべっているかわからないし、会計の専門用語(しかも英語)もさっぱり意味不明だし、これは絶対に単位を取れないからやめておこうと講義を聞きながら思っていました。さっさと講義を抜ければよかったのですが、チキンだったので途中で抜ける勇気もなく、一応最後まで講義を聞くことになりました。このチキンな保留が僕の運命を決定づけました。

講義の最後に、周辺にいる人たちでグループを作って、自己紹介をしてくださいと教授が言い出したのです。「こいつは何を言っているんだ?受講登録もまだだろう?なぜ自己紹介する必要がある?」僕は混乱しました。このネイティブの団体にどうやって入る?落ち着け、今教室を出るとそれこそ恥ずかしい。どうする?と一人でテンパっていました。その時、親切な人が「このグループに入れよ」と申し出てくれたので、何とかボッチになるのは回避できたのですが、そこからも軽い拷問のような感じでした。まず皆が何を言っているのかが分からない。自己紹介をするときも「日本から来ました。よろしく」で終わりました。後はニコニコしてるだけで、そこから僕が存在しないように自己紹介は終わり、講義が終了しました。今でも思い出せますが、あの時間は本当に辛かった。

その講義が終わり、「やっと解放された」と思った僕は、さっさと帰って別の講義の時間割でも調べようとしていました。その時、講義中に僕をグループに誘ってくれた人が追いかけてきて「君、日本人だろ?昔日本に行ったことがあるけど、もの凄くいいところだよな」と話しかけてきました。「日本が好きだし、友達になろうぜ。これからもよろしく」とあっさりと友達になりました。

※このように、日本が好きという人は外国に一定数います。過去の日本人と日本の文化に感謝する瞬間です。僕も留学中、何度感謝したかわかりません。

その彼がこう言い放ったのです。「さっきのアカウンティングの講義は面白そうだ。一緒に受講しようぜ」こいつは何を言っているんだ?と普通に衝撃でしたが、友人もできたし「OK」とあっさり返事してしまいました。正直乗り気ではなかったのですが、僕は「No」と言えない日本人の代表でもあるので、そこは笑顔で承諾しました。この瞬間から、僕の人生は会計方面に向かって進み始めます。

「会計」という拷問開始

さて、現地に友人が出来たのはいいのですが「財務会計基礎」との闘いは僕にとって非常に困難なものになりました。講義を進めると、当然のことながら単語の意味が全く分からないのです。Asset、Liability、Equity、Accounts receivable、Accounts payable、Depreciation。その度に辞書を引くことになるのですが、その辞書に登場する日本語も資産、負債、純資産、売掛金、買掛金、減価償却など、これまでの人生で聞いたことのないような単語ばかり。日本語の意味も分からないので、今度はその日本語の単語をインターネットで検索する、という二度手間なことをずっとやっていました。

今思うと、あの時に会計の専門用語を英語の分厚い教材で読んだことが「英語を勉強する」ではなく「何かを英語で勉強する」という非常に効率の良い勉強方法だったのですが、当時の僕にとっては本当にキツい作業でした。教科書が異常に分厚いのに、1ページを読むのに何度も電子辞書とネット検索を行う必要があるので、全然進まないのです。あまりにもわからなくて、イライラして文房具をベッドの布団にたたきつけたこともあります。「英語で専門的な何かを学ぶ」ことがこれほど厳しいものだとは知りませんでした。

会計の性質

そのような厳しい日々が続きましたが、会計というのはあくまで「ルール」です。特に、最初の方に学ぶことは日本で言う「簿記」と同じなので、必ず正解が存在します。ルールさえ覚えてしまえば、あとは誰でも正しく解答することが出来るのです。例えば、世界中のどこでも「1+1=2」となるように、会計にも一定の法則が存在しているのです。その法則を膨大な量の練習問題を解くことによって、少しずつ覚えていった僕の成績は、少しずつですが上昇し始めました。毎回の講義の後に、それまでの講義の内容を踏まえたミニテストがあるのですが、その点数がじわじわと上がり始めたのです。

そこまで来ると、これまでせっかく覚えた内容を忘れることが怖くなり、徹底的に復習するようになりました。さらに余裕ができてくると、次の講義内容の予習も行うようになりました。忘れるのも、講義についていけなくなるのも嫌だったのです。留学当初の惨めな思いは、もうたくさんでした。何かに取りつかれたように教科書を読み、練習問題を解き続けました。

気付き、そして転機

そんな僕に、転機が訪れます。中間テストの時です。この中間テストは今思うと簿記3級レベルだったのですが、僕にとっては留学先で初めての規模が大きいテストでした。ここで、とにかく落ち着いて今までの勉強の成果を出し切りました。その結果、なんとクラスで1番の成績を修めることが出来たのです。100点満点の98点で、クラスに2人だけという発表でした。僕の成績は98点だったので、なんと僕が成績1位の内の1人だったのです。これはうれしかった。そして、この後に人生を変える出来事が起こります。

そのテスト発表の後、先述した友人が僕に対して、とある発言をしたのです。それは以下のようなものでした。

「よくそこまで高いスコアを取れたね。僕も頑張ったけどそこまでじゃなかったよ。まだ概念が良く分かっていない分野があるから、家でぜひ教えてくれ。」

一瞬、何を言ってるのか理解ができませんでした。日本人の僕が、英語ネイティブの人に会計を教える?一体何を言っているんだ?普通は逆じゃないか?当然、僕は混乱しました。そして、ある当たり前のことに気が付いたのです。それは「英語ではなく、英語で専門分野(僕の場合は会計)を突き詰めればネイティブにも負けないのではないか」というものです。英語ネイティブに大きな劣等感を持っていたのに、そのネイティブから「教えてほしい」と頼まれたことは、僕にとって少なからず衝撃でした。

その後、その友人に教えながらも、僕はさらに会計の予習と復習を積み重ねました。時間があればパソコンを開き、何度でも解ける練習問題を満点になるまでひたすら解き続けました。わからなければ教科書に戻り、該当箇所を読み込み、ネットで検索し、また問題を解くという行為を続けました。そして迎えた「財務会計基礎」の期末試験。100点満点のうち、何点だったか記憶は定かではないのですが、ここでも1位を取ることが出来ました。この時は中間テストのように2人の1位がいる状態ではなく、単独の1位。このとき、僕の気付きは確信に変わりました。

英語で専門分野を突き詰めれば、世界でも勝負できる。

この期末テストが終わった瞬間に、次の学期の予定は全てキャンセルして、全て会計に関する講義を取得しました。強制的に留学生に課せられる「英語」の授業(アジア系の人々が英語に慣れるための講義)を大学のカリキュラムを組む人と面談を設定して「僕は英語は大丈夫です。会計の講義に集中したいので英語の講義を減らしてください」と交渉して極限まで減らしてもらい、可能な限り会計の講義を詰め込んだのです。とはいっても受講登録が出来たのは「財務会計基礎2」と「管理会計基礎」の2つだけですが。

この2つの会計の講義に関しても、最初に受講した「財務会計基礎」と流れは同じでした。最初は全くわからないのですが、ひたすら問題を解いて教科書を読み込み、予習と復習を繰り返せばどんどん成績が上がっていきました。そして、僕の上記の確信は正しく、財務会計の方はネイティブに、そして管理会計の方は中国人に僕が教えるという経験を積むことが出来ました。日本人の、英語で話すことがそこまで得意ではない僕が、ネイティブや外国人に会計を教えることが出来たのです。そして、また最終的にクラスでトップの成績を修めることが出来ました。

この留学経験から、僕は1つの結論にたどり着くことが出来ました。それは「日本人が世界で勝負するには、何かの専門分野に特化することが近道」ということです。そして、これが一番現実的な方法だということです。特に、僕のような子供のころの海外経験が全くない日本人(いわゆる純ジャパ)にとって、世界で勝負するには専門分野に特化するのが一番効率的なのです。

これは、普通に考えれば当たり前のことです。例えば、会計をほとんど知らない日本人に、営業利益や資産と負債、純資産、連結や減価償却の話などを持ちかけても、ほとんどまともに会話が出来ません。それらは「専門用語」だからです。専門用語とは、その意味を知らなければ全く理解できないという性質を備えています。同様に、日本語がペラペラの外国人に、日本語で簿記の話や会計の話を持ち掛けると「こいつは何を言っているんだ?」という反応が返ってくると思います。その外国人は日本語は得意でも「簿記・会計関係の日本語」は得意ではないからです。外国人が日本の簿記を勉強していれば別ですが、基本的にそういった人は少数派だと思います。逆に、外国人でも日本の簿記などを突き詰めて勉強していれば、「日本人より使える外国人」になる可能性が高いのです。

ここに、僕がUSCPA受験を決意した理由があります。

僕がUSCPA受験を決意した理由

留学時代の経験から、僕は会計を英語で専門的に勉強しようと考えました。そして、この分野に進むのはどうすれば良いのかを調べたところ、資格という目に見える形で手に入るのがUSCPA(米国公認会計士)というものでした。英語と会計という分野で見れば、BATIC、イギリスの公認会計士、海外の会計大学院も考慮したのですが、日本に在住しながら、しかも働きながら取得が可能で、世界に通用する資格ということで、USCPAを目指すことにしたのです。

そして留学が終了して帰国し、その直後から就職活動を行い、いくつかの内定をもらった中から最もグローバルな会社を選択して入社することになりました。当時はとにかく海外と関われる部署で働きながらUSCPAの勉強をしようと思っていたのですが、運よく財務部配属となったので、その時点から専門学校に依頼して、本格的に勉強を加速させました。

USCPAの意義

ものすごく長くなってしまいましたが、僕が人生で経験したことをそのまま書いた方が、USCPAを勉強する意義が伝わりやすいと思って書きました。今回書いた内容のように、グローバルで戦える人材になるためには、専門分野を英語で勉強することが一番効率的です。そして、USCPAを勉強することで、それを達成することができます。会計を英語で勉強することができるからです。それが、USCPAを勉強する一番の意義だと僕は思います。

現在、日本語でも財務会計や管理会計を知っているビジネスパーソンは多くありません。そんな状態で、英語で会計を理解している人がいるとすればどうなるでしょうか。会計に加えて英語のスキルを身に着けているとなると、一気に希少価値が高まります。そして、世界は日本の準備を待つことなくどんどんグローバル化しています。

日本が「待ってくれ」といったところで、この流れは止まりません。コンビニの店員や工場の単純作業などは、どんどん賃金が安い外国人にとって代わり、日本の企業は売上を求めて世界に飛び出す必要があります。これは「おかしい」のではなく「世界中がどこもそう」なのです。この状況で「政府が悪い」「学校が悪い」「会社が悪い」と自分の力ではどうしようもないことに無駄な悪口をたたく時間があるのであれば、少しでも早く英語で何かの専門分野を学んで、外国人を打ち負かせるレベルになれば良いのです。

特に今の日本では、専門分野を英語でできる人は数少ないので、様々な企業がそのような人材を欲しがっています。実に、僕がいた企業でも、また面接を受けてきた企業でも、海外の現地法人や本社の海外経理部門に人が足りないと悲鳴を上げているところが多かったです。

このように、「世界に通用する人材への第一歩」として、USCPAは非常に大きな意義があると考えています。僕が経験したように、英語力だけを見ればまだまだ帰国子女やネイティブに勝てないかもしれません。ところが、経理部での仕事や会計に関する話であればそれらの人に勝てる可能性が見えてくるのです。少なくとも全敗することは無くなります。専門分野で勝てば良いからです。

以上、僕がUSCPAの受験を決意するまでの記録になります。どうしても英語で専門分野に特化することの重要性を伝えたくて長い話となってしまいましたが、少しでも勉強を開始するか迷っている人に参考になれば幸いです。USCPAはそれを取得すれば世界に通用する人材になったというわけではありませんが、世界に踏み出す一歩としては最適だと僕は思っています。